有終の美 

2017.7.9

私がサーフショップを開業してから14年

あと何年できるかわからないが、これから先そう多くはないだろうドラマをメイクした男の話。


岩井力

2017年度 千葉チャンピオンシップ カフナクラス(60歳以上)のチャンピオン

そのチャンピオンは、私のサーフショップを開業当時から厚くサポートしてくれた恩人。

またいつの日か、歳は大先輩であるが本音で話せる、あるいは本音以上の感情をぶつけながら

甘えることが出来るかけがえのない人生の先輩。


先生との出会いは、開業間もないストレイサーフの店内でした。

兄が先生とすでに波乗り仲間になっていたらしく、弟がショップをやると伝えてくれていたそうだ。


岩井外科

生粋の印西ローカルなら誰もが知っているであろう病院で、外科と銘打っていながらほとんどすべての病気を

診ていたいわゆる町医者で、私も小さな頃から風邪をひいたら岩井外科。けがをしたら岩井外科。

ちんちんが赤く腫れたら岩井外科。付き指したら岩井外科。そんなBIG ホスピタルだ。


甲高い声でやさしく診てくれた先生、きっと印西でも相当な名物先生だったに違いない先生。

今ではお亡くなりになられているが、小さな頃から病院の先生といえば、岩井外科の先生だった。


その岩井外科の先生の息子さんが、岩井先生なのだ。


初めてお店に来て頂いた時、「あの、岩井外科の先生の息子さんが俺の店にいる~」

しかも、「その岩井外科の先生の息子さんがサーフィンやってる~」


ありがたい気持ちとへんな緊張とで複雑な気持ちだった。


はじめて一緒にサーフィンをしたのはこの日だった。

JPSAに出てたんでしょ~!関谷とかとも試合やったの??

確かにJPSAには2年フル参戦していたが、アマチュアとして出ていただけで

トップシード選手と同じヒートになることはほとんどなかった事をここで詳しくは話さなかった

ことと、期待されるとそれに応えられない人間の小ささが発揮され、サーフィンがイマイチで

期待はずれ感を与えてしまったかなというのが出会ったの日の思い出。


先生が初めてオーダーしてくれたボード。

リクエストは「鋭いコースターが出来るボード」

今も変わることがないブレないスタイル。


大洋村NALUポイントにて、病院関係者のコンテスト DDNM CUP

先生の勝負に対するこだわりを強く感じた日でした。


それまで勝負に対するこだわりの強い先生は、このDDNM CUP、また医科歯科系の大会に

出場していたみたいでしたが、公式戦に出てみたいということで全日本を目指して支部予選に

出場を決めました。


千葉西支部予選


初めての公式戦の結果は振るいませんでした。

しかもヒート前の練習で他選手とトラブルになったりと。


先生にとって、この辺りからが今までとは勝手の違う、思うようにいかない

いかせてくれないジレンマも始まったことと思います。

なぜならば、大会の経験はあり程度やりこんでいた自分にとって、考え方、動き方

など、先生の考えと自分の考えの違いに対して切り込む自分が出始めてきたときでもありました。


「あの頃のまこっつぁんはカミソリだった」

今でも冗談でよく先生に言われているが、その訳はこのころの時なんだろう。


先生はどんな時でも私の見方でいてくれた。

お客さんとの事、発足したばかりのチームの事、当時登録していた支部との事など。

それゆえに先生の望んでいる「勝利」に対して適当かつ生産的かつ大人的な付き合いができず

先生の望んでいる「勝利」を現実にすることが自分にとって唯一できる最大の礼儀であると

真っ正面から容赦なくぶつからせてもらった。


ロングボードで2度、全日本選手権の本戦で準決勝に進出するという好成績をおさめられた頃

僕は最高に生意気な事を先生に向かって口にした。


「先生、ロングやりたいんですか?本当はショートやりたいんじゃないですか?」


準決勝でも十分すぎる好成績なはずなのは間違いない。

「ただ、ノーズが出来ないと決勝には行けないよ...。」

と先生が言った時に言ったのがこの言葉でした。


そんなに言うほど生意気じゃない?

もっと詳しく話しましょう。


先生は大学時代、ツインフィンで大学からほど近い海でサーフィンしていたと聞きました。

医師としての仕事を経て、病院の開業などでブランクがあき、またサーフィンを始めた時には

ショートには乗れなくなってしまったそうでした。

それで8ft強のFUN GUNスタイルのボードでサーフィンしていたそうですが、それでは大会には

出れずに、競技としてのカテゴリーのあるロングをはじめれたのでした。


もちろんこの流れはまったくもって自然で良くある話といったらよくある話です。

ただどうしても引っかかったのが、ショートに乗れなくなっていたからショートをやめたということでした。


このころには先生とのセッションも数多く繰り返し、先生のサーフィンというものをだいたいは

理解していたつもりでした。

ロングボードに乗りながら、目指す先は常に鋭いコースターでした。

ノーズライドをしているのを見たことはありませんが、そのボードコントロールは

高いスキルによるものでした。


ノーズは練習したことはあるけれど上手く出来ない。

そんな先生がノーズを練習していたり、しかけにいっているのを見たことはただの1度もありません。


はっきりと言えば、先生は波に乗れないショートから逃げ、かんたんに乗れる長いのを選んだ。

かんたんに乗れるという理由で突き詰めた大会であったが、動機が動機だけに行き詰まる。

目標と言うのは見せ物ではなくひけらかすものでもない。

他人に恰好をつけてみても、自分自身には嘘は付けない。

自分のイメージする成功の場所、そう簡単に行けるわけないけど、逃げずに勝負すれば

絶対に実現する。

そう人生の大先輩に向かって思いをぶつけさせてもらった。


ノーズ、やりたいんですか?

本当はリッピングやりたいんじゃないですか?

ロングで2回、全日本でセミまでいったならもういいでしょう。

もう昔の思いにふたをするのはやめましょう。

ショートに転向しましょう。


ここからが先生と私の勝負が始まりました。

仕切り直しのデビュー戦は神栖市長杯のBクラス。

結果は1回戦敗退でした。


僕の専門はショート。

今の先生もショート。


このころからのセッションやアドバイスは、今までのショートに置き換えてロングボーダーに向けていたものが

ショートボーダーに向けてのことなので、より明確な提示が出来たと思う。

アドバイスを求める先生の表情もどこか今までと違い、真っ正面から何かにチャレンジしている

すがすがしく、緊張感と喜びにあふれる表情に変わっていったように写りました。


練習の甲斐あってNSA3級に合格!

時すでに58歳になっていました。


先生は自分の勝利と同様に、仲間の勝利もいつも誰よりも喜んでいます。


誰かがよい結果を出すと決まって大きな花がどこからか届けられてくるのです。

いまではそれが恒例になっています。


そんな先生が昨年、還暦を迎えられました。

いつもみんなをやさしく励ましてくれる先生。

みじかな60歳にこんなパワフルで若々しい人じいさんいますか?


常に勝利を意識し、そしてその勝利に向かう努力をし、努力をしているからこそ

がんばっている人が大好きで、結果が出たなら待ってましたとばかりにお祝い。


俺、あと何年できるかな...

そう言い始めたのがここ最近です。


はじめこのような言葉を聞いた時はそれほど考えませんでした。

だってまだショートに転向し、目標の半ばでもあったし、順調に上達されていたし。


普段どこが痛い、何が痛いと言う人ではありませんが

リウマチが発症し、サーフィンする時はもちろん、普段から痛み止めを飲んでいると知りました。


また公式戦では現在最高齢クラスのカフナクラスに属していますが、年々新カフナ(新60歳)が

クラスに加入してきます。

私たちが感じる1歳の違いよりも、60歳以上のカフナクラスの選手にとって、その1歳の違いは

きっともっと大きな違いなのでしょう。


そんな中、ショートに転向してから初めての全日本選手権のカフナクラスで

地域予選、8人中2人の難関を突破し本戦に出場し、なんとロングボード同様

準決勝に進出する快挙を成し遂げたのでした。


第50回記念大会 全日本選手権 太東



これでロングとタイになった。

次こそは決勝進出、表彰台を狙いましょう!


しかし翌年、地域予選、12人中2人の本戦出場権を得られず本戦には出ることが出来ませんでした。

しかし予選の決勝には進出し、4位まで勝ち上がる粘りを見せる。元プロがいるにもかかわらず。


目標1歩手前まで手をかけていながら、そこにはおおきな壁が立ちはだかっているのでしょう。


また全日本同様、カフナの選手にとって大きな舞台となる千葉チャンピオンシップ。

2016年の千葉チャンピオンシップが初めてのチャレンジになりました。


表彰台には上がっているものの、5人中5番の表彰式。

先生曰く、こんなにつらい表彰式もなかったと。


全日本選手権の本戦に出場するためには、所属している千葉銚子支部では支部予選を通過しても

全日本出場枠が登録人数の関係で、さらに地域予選を突破しなければなりません。

しかしカフナ登録者が増えれば、出場権がゲットできるチャンスがあります。

そのため、登録者をある程度集めることによって、出場権をもらえる方法もなくはありません。


先生に相談されました。

俺の友人の名前で何人か銚子支部に登録してもらうことってどうかな。


先生の立場になってよく考え、先生は予選ではなく、全日本の本戦で活躍すべき選手だと思います。

なので、その方法は「あり」だと思います。と答えました。

しかし先生はさらに、まこっつぁんならどうする?と言い、私ならその方法はやらないだろうと言いました。

そしたら、俺もその方法はやらないといい、正々堂々と地域予選に向かわれたのでした。


僕は今でもこの事を考える時があります。

なにもバカ正直に真っ向勝負することが果たしてよかったのかどうかと。


ただ間違いなく言えるのは、この時から先生に対する思いが変わりました。

先生は、勝負に対して強いこだわりがあり、勝つということにコミットメントする

人と思っていました。

しかしある意味間違っていない正攻法を捨て、美学による選択をし、目標を自らの手でつかむ

覚悟で

カフナクラスでのキャリアを重ね、痛み止めと注射を繰り返しながら挑戦することを決めた

勝負師ではなく、男なんだと。


61歳となる今年度

カフナクラスは3年目となり、新カフナの選手がさらに2代で入ってくる。

地域予選もまた必至で、その出場権獲得の倍率は6倍近くだろう。


「俺の選手としてのキャリアもそろそろ本当に最後になるかもしれない。

もちろん全日本にも地域予選からチャレンジするつもりでいるが

昨年屈辱を味わった千葉チャンピオンシップのカフナクラスで勝ちたい。

だから、いつかの支部予選のように、ヒート中に支持をくれないか。」


そう言われ、そのバックボーンにあるものをすぐに理解できたので

もちろんですと答え、2人で千葉チャンピオンシップの決戦へと向かいました。


あらかじめサインの確認をし、ミーティングは済んでいました。

当日のコンディションから、ヒート展開の予想を話し、ヒート直前に

さらに最終確認をしパドルアウトされました。


いつもはなんだかんだ言いながら、自分でヒートを進め来た波はすべて乗るような豪傑ぶりの先生ですが

この日の決勝は、海と岸とが一体となっていたように思います。

それだけこの試合に懸ける思いを強く感じ、腹の奥底がぐつぐつと沸き上がる思いでした。



開始2本目のこのライディングがベスト1となります。

このあと無意識に先生に向かい、イケると伝えました。


あらかじめ作戦に立てていたポイントがまとまってからのハイポイント狙いのレフト。

狙いの波を1本取り逃すも、次のセットで目を見張る弧を描くカービングターンを決める。


僕はヒート直前の作戦会議で、迷いはしたもののフロントでまとめ、バックサイドで

ポイントを上げると決めた。それはバックサイドの方がポテンシャルのある波だったからだ。

そして更に、バックサイドは先生が苦手意識を持っていたからというのもあった。


僕が先生にショートを勧めた理由に、先生はサーフィンは上手いと思っていました。

なのでロングではなくともショートで十分いけると思っていました。

ただ、勝ち急ぐことによりポジショニングと波の選び方を間違い、自分のサーフィンが

出せずに終わることが多いとも思いました。


来る波をほぼすべて乗っていた人が、波をスルーすることがどれだけ不安で難しいでしょう。

勝利にこだわる人が、バカ正直な真っ向勝負することに何の意味を持つのかとも思ったかもしれません。

しかし先生と約14年間コンテストをともにし、キャリアの最終章にこれほどの変化で臨んだ千葉チャンピオンシップ。

ならば締めは真っ向勝負のバックサイドがなによりふさわしいではないかと。


2017年度 千葉チャンピオンシップ カフナクラス 優勝!!

昨年1番右にいた人が、1番左にいます。



表彰式で優勝が発表される前から、ジャッジが数字をなんとつけようが僕の中ではすでに優勝でした。

なので優勝のコールがあってもそこまで驚きはしませんでしたが先生の目には涙が溢れていました。



これから、こんなにもエキサイティングなヒートを目にすることはあるのだろうか。

この日の勝利は、すでに登録人数を増やすことを選ばなかったときから決まっていたのでしょうか。

僕はそう思います、先生。



8/22 豊浜、楽しんで!!
先生ならイケますよ!!